シャネルの5番、リトル・ブラック・ドレス、シャネル・スーツ……自由な女性を象徴するブランド「シャネル」。そのブランドを立ち上げたのは、1人のフランス人女性でした。ガブリエル・ボヌール・シャネル。「ココ・シャネル」の愛称を持ち、その名で広く知られたこの女性は、ブランドを立ち上げ、デザイナーとしてさまざまなスタイルを提案。さらに自ら広告塔に立つなど、めざましい活躍によって「シャネル」を世界的なブランドに仕立てあげました。2度の世界大戦を経験し、その混乱の中で「働く女性」、「自由な精神を持つ女性」の代表格として女性の自立を謳ったココ・シャネル。憧れる女性が多いというその生き様は、どのようなものだったのでしょうか。
自分の人生は自分で作り上げる、ココ・シャネルの信念
ココ・シャネルは11歳の頃に母親を亡くしたことにより一家離散を経験し、孤児院や修道院で育ちました。決して幸福な生い立ちではありませんでしたが、この環境がのちのシャネルの人生を作り出しました。厳格な規律の修道院の中で、シャネルは裁縫の技術と、白色や黒色の持つ美しさを学んだのです。歌手を志しして挫折したのち、退屈しのぎで制作した帽子のデザインが認められ、「シャネル・モード」という帽子の専門店を開店。それが、ブランド「シャネル」の始まりだったのです。
美貌とカリスマ性を備えていたシャネルは、社交界にて多くの男性と交流を持ちました。しかし、当時は身分制度が色濃く残っていた時代。身分の高い男性と恋に落ちたとしても、貧しい身分出身のシャネルは愛人としてしか扱われませんでした。男性に自分の人生を左右されることを嫌ったシャネルはブランドを成功させることで、社会の中で自らの地位を確立させようとしたのです。「私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの」というシャネルの言葉が、その生き様を表しています。
現代女性のスタイルを作り上げた女傑
自由を愛したシャネルは、ドレスから身を締め付けるコルセットや過度な装飾を排除しました。喪服として扱われていた黒のドレスを「あらゆる場面で着回しできる、女性の魅力を最大限に生かすドレス」として作り直し、シンプルで動きやすいジャージ素材のスーツを発表。さらに、「小さなバッグに入れて持ち歩けるように」とスティック状の口紅を提案し、上流階級でも娼婦でもない普通の女性がつけられる香水を生み出しました。ココ・シャネルは、まさに現代女性のスタイルを作り上げた人物。彼女が生み出すものは、女性を自由にするものばかりだったのです。
第二次世界大戦中は隠居していたシャネルが、戦後に助手たちに送った電報は「今すぐ来るように。私たちはあと10年しか働けないのだから」というものでした。1971年に住まいにしていたホテル・リッツで亡くなったときも、コレクションの準備中だったココ・シャネル。彼女は自分のスタイルを世に発信し続けるために、最期まで働き続けたのです。その強い信念と生き様は、今も多くの人々を魅了し、ブランド「シャネル」の価値を輝かしいものにし続けています。