ルクルトの血をひく最初の人物は、1500年代のピエール・ルクルトと呼ばれる人物で、彼は森林資材を糧としながら、スイスで暮らしていました。
最初に時計の製作が行われるのは、19世紀になってからの事で、優秀な発明者でありながら独学で時計製作の技術を学んでいたアントワーヌ・ルクルトは、1833年最初のアトリエを設立しました。アントワーヌ・ルクルトはミクロンという1/1000ミリの単位をはじめて測定したことでも知られています。
1851年ロンドンで開かれた万国博覧会でイギリスのヴィクトリア女王がルクルト製のペンダントウォッチを購入します。このとき、ルクルトはゴールド製のクロノメーターや数多くの製品の開発実績によって金メダルを授与されました。
1890年ごろには、高い製造技術を武器に時計史上初の複雑機構を搭載したキャリバーの量産を行います。1903年パリのエドモンド・ジャガーは、ルクルト創設者の孫に当たるジャック・ダヴィット・ルクルトと協力関係を結ぶ事になり、1937年現在の社名であるジャガー・ルクルトのブランドが誕生しました。
そんな中、1929年に始まった世界大恐慌によりぜいたく品に対する需要が減少します。しかし、時計職人たちの飽くなき挑戦は続き、キャリバーを極限まで小型化した時計の製造に成功します。キャリバーの重量わずか1グラムで74個の部品で構成されたムーブメントは、その小ささに置いて一貫生産されたものとしては、現在までその記録が破られたことはありません。
1953年英国女王のエリザベス2世が、戴冠式にこの優れたメカニズムを搭載した時計を着用したことは、有名です。1938年にはイギリスの政治家で飛行家でもあるノエル・ペンバートン・ビリング卿の要望によりシガレットケースに収まるほどの小型カメラをつくるなど、幅広く事業を展開し、1996年には、時計の裏ダイヤルに画家アルフォンス・ミュシャのアールヌーボー様式の絵画を再現する事に成功しています。この絵画は、時計職人ミクロス・メルツェルをはじめとする3人のエナメル細密画家によって80時間にも及ぶ作業によって作られていて、精緻で美しい出来栄えは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
2009年にはジャガー・ルクルトの時計が国際クロノメーター・コンクールで一位を獲得、現在に至ります。MARUKA(マルカ)の時計買取のなかでもジャガールクルト買取は意外に多くそれは時計メーカーとして腕時計だけでなく置時計でも人気のジャガールクルトらしさかもしれません。是非正しくジャガールクルトの価値を理解し買取できるMARUKA(マルカ)へジャガールクルト買取をお任せ下さい。