Hope Diamond(ホープダイヤモンド)は、正式名称Fancy Deep Greyish-Blueという濃い青色45.52カラットあり肉眼ではブルーに見えますがホウ素を含んでいるため紫外線にさらされたあと暗所に移すと赤色になります。
このダイヤモンドは17世紀中頃にフランス人のダヴェルニエがインドの当時の王国ゴルコンダ王国を訪問しているときに手に入れと言われています。それがルイ14世に献上されフレンチ・ブルー(French Blue)と呼ばれる67カラットのサイズにリカットされその後1792年のフランス革命のさ中、王室の宝物庫に盗みに入った窃盗団により持ち去られたとか、その時点ですでにこのフレンチ・ブルーは見当たらなかった等と言われ歴史の舞台から姿を消します。
時も場所も変わり1812年にイギリスのダニエル・エリアーソン(Daniel Eliason)というダイヤモンド商人が持っていたブルーダイヤモンドが現在のHope Diamond(ホープダイヤモンド)の源流とされていますがいまいちはっきりとしません。
Hope Diamond(ホープダイヤモンド)といえば呪いのダイヤモンドとして有名ですが上記の説と少し違い1645年にタベルニエという宝石商がインドの鉱山でブルーダイヤモンドを購入し、それをフランスに持ち帰ったという説もあります。インドの川で農夫が見つけたという説もありますし、少なくともインド産であったことだけは確かなようです。
いずれにせよこれを手にしたルイ14世は財政悪化に悩まされ、そのダイヤを受け継いだお妃のマリー・アントワネットは断頭台(ギロチン)にかけられたりと不幸が続いたとされます。さらに1830年には銀行家、ヘンリー・ホープが入手。彼がなくなった後妻から息子、孫へと相続されるが孫の代で破産。その後ロシア貴族の手にわたるが謎の死、さらにさらに1900年代に入りこれを手に入れた宝石商は自動車事故で亡くなり、これを売り先だったトルコ王は革命で廃位、そしてアメリカに渡ったHope Diamond(ホープダイヤモンド)の持ち主であったマクリーン夫人は息子が車にはねられ、娘は自殺、夫はアルコール依存症と不幸のオンパレード。
もともとはやはりとある寺院の女神シータ像の片目にはめられていたHope Diamond(ホープダイヤモンド)を盗んで持ち帰ったので、その寺院の僧侶たちが呪いをかけた、という話がひろまったようですが今まで紹介した通り、まず出自自体に所説あるので呪いといってもただの偶然といっていいと思います。
しかしその「呪い」という話が真実味を帯びるほど怪しく美しい宝石だったことは間違いないと思います。確かにホープ家が手放してから50年の間に8回も所有者が変わったり、マリリンモンローが着けたから彼女も変死したなどと言われてますが最終的にはニューヨークの宝石商ハリー・ウィンストンによって買取られて、その後スミソニアン博物館(の中の国立自然史博物館)に寄贈、展示されています。
いずれにせよダイヤモンド買取を職業にしている私達ですので一度はこのHope Diamond(ホープダイヤモンド)を見てみたいものです。そして通常ダイヤモンド生成時に含まれることはないといわれるホウ素、それを含みアレキサンドライトのように変色するダイヤモンドを是非見てみたいものです。
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Hope Diamond(ホープダイヤモンド)45.52ct
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