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Hope Diamond(ホープダイヤモンド)45.52ct

Hope Diamond(ホープダイヤモンド)45.52ct

Hope Diamond(ホープダイヤモンド)は9世紀頃にインド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川で、マデアという名の農夫によって発見されたのが起源と言われているブルーダイヤモンドです。発見された当初は112.5ctという現在の二倍以上の大きさがあったとも言われているこの「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」はしばしば「呪われた宝石」と呼ばれることがあります。ここではそんな「呪われた宝石」の辿った歴史を紐解いていこうと思います。
まず、最初の発見者であるマデアが悲惨な運命を辿ることから呪いの伝説は始まります。当時インドはペルシア軍の侵攻を受け、その際にこのダイヤモンドはペルシア軍に強奪されています。もちろんマデアはこの大きなダイヤモンドを渡すまいと必死に抵抗し、頑なに握りしめていたそうですが、なんとその両腕ごと切断されて奪われたというのです。
その後、ホープダイヤモンドは歴史上から一旦姿を消し、次に歴史上に登場するのは1660年代となります。西洋人で初めてインドを訪れたとされる、フランス人の宝石商ジャン=バティスト・タヴェルニエがムガル帝国で購入したのがその頃と言われています。
タヴェルニエはフランスに持ち帰った「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」を時の皇帝、ルイ14世に売却します。ルイ14世はこれを69.03ctのハートシェイプにカットさせ、自信の儀典用のスカーフに取り付けさせました。この頃から「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」は「フレンチ・ブルー」と呼ばれるようになりました。現在も各スポーツのフランス代表のユニフォームが国旗のトリコロールを表しているのはもちろんそうですが、メインカラーがブルーであるのはこの当時から王が身に付けた高貴な「フレンチ・ブルー」に由来するのかもしれません。
それから100年以上フランス王室に所有されていた「フレンチ・ブルー」は1792年、フランス革命のさなかに窃盗団に強奪されてしまいます。しかし、その窃盗団が奪った宝石類の中でも「フレンチ・ブルー」に関する記述だけはなく、またしてもこの宝石は歴史上から姿を消してしまうのです。
窃盗団によるフランス王室の宝玉庫侵入事件より20年後の1812年にイギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリアーソンが所有していたダイヤモンドが「フレンチ・ブルー」から切り出されたものであった、ということがつい最近の2005年、現在の所蔵地であるスミソニアン博物館を運営するスミソニアン協会によって確認されています。この頃には現在の45.52ctという大きさになっていたそうです。また、この所有者であったダニエル・エリアーソンは落馬による事故死を遂げたと言われています。
次に所有者が判明しているのは1824年です。実業家のヘンリー・フィリップ・ホープがこの「フレンチ・ブルー」を所有していたという記録が残っており、その後4代にわたってホープ家が所有することとなります。これが現在の「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」という名前の由来でもあります。
「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」がホープ家の手を離れるきっかけはホープ家の破産です。その後、「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」は売却を繰り返され、そのたびに次々と所有者を変え、1949年に最後の所有者、ニューヨークのダイヤモンド商で「キング・オブ・ダイヤモンド」とも称されるハリー・ウィンストンの手に渡ります。そして彼は1958年に「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」をスミソニアン協会に寄贈します。それから今日に至るまで「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」はスミソニアン博物館にて所蔵・展示をされています。
発見から長きに渡り一ヵ所にとどまる事を知らず次々と所有者を変え、持つ者を不幸にし続けてきたと言われる呪われた宝石「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」。フランスの衰退のきっかけとする声もあれば、ホープ家の破産、その後の所有者の病死、映画で身に付けたことのある大女優マリリン・モンローの変死など、「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」が関連付けられる不運な出来事は多数あります。ですが、それらはもちろん因果関係の立証をすることが不可能なのも事実です。しかし少なくとも、多くの人間がこの宝石に魅了された、ということは紛れもない事実でしょう
「Hope Diamond(ホープダイヤモンド)」は「呪われた宝石」と呼ばれるような不思議な力だけでなく、ダイヤモンドとしても非常に稀な性質を持っています。このダイヤモンドは紫外線を浴びると赤く発光するという特製を持っているのです。科学技術の進歩した現代においてもその原理はいまだ解明されておらず、多くの謎を呼んでいます。これもまたなにかの呪いではないのかと感じられてしまうのは、この宝石が今までに辿った数奇な運命ゆえでしょうか。
ここまでのエピソードを持った宝石にはいまだに出会ったことはありませんが、いわくつきの宝石というものは度々耳にすることがあります。マルカ(MARUKA)ではそういったいわくつきの宝石であっても買取は可能ですので、早く手放したいというお品物はマルカ(MARUKA)へのお持ち込みをお勧めさせていただきます。
呪われた宝石をお持ちの方は少ないかと思いますが、不要な宝石などはマルカ(MARUKA)で処分してすっきりしましょう。
さてマルカ(MARUKA)は京都発祥の60年以上続く老舗質屋が母体です。現時点では京都市内の西大路七条、四条河原町、四条烏丸、山科そして東京は銀座と二子玉川の7店舗を出店しております。買取店の多さに迷ったら京都の老舗として名門のマルカ(MARUKA)へ寄ってみてください。あなたの大切なもの、特にダイヤモンド・宝石類の買取ならどこにもまけません。

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