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麻田 鷹司(あさだ たかし)

麻田 鷹司(あさだ たかし)

麻田鷹司は京都出身の昭和時代後期に活躍した日本画家です。
麻田弁次の長男として生まれ、本名は昂と言います。麻田弁次は日本画家であり、母の鶴も上村松園に日本画を学んでいたという芸術一家に育ちました。
その為、身近に画に触れ合う機会が多く、父に絵を学びました。そして京都市立美術専門学校へ通うと写生を中心に熱心に学んでいました。
在学中に第1回創造美術展に「夏山」が初入選を果たすと第2回、第3回と連続で入選しました。その後、創造美術が新制作派協会と合流して新制作協会日本画部となり、早くも若くから画家としての頭角を現しました。その作風は20歳から40歳の頃にかけては、非常に変化を繰り返します。箔の使い方であったり、色彩の使い方、表現方法、視点の取り方。まさにその時に起こった自分の中の意識の変化を強く作品に投影し、常に自らの芸術を追求し続けていきます。
そして構成力と深みのある色彩や新しい感覚を持って一貫して風景を描き続け、渓谷や雪原、荒天の海など日本人に取っての精神的な繋がりを持つ場所を多く描き日本の風景をモチーフに造形性を追求した作品を発表しています。
東京に移り住んでからは生誕の地である京都を主題とした個展を開催し、本格的に京都の風景に取り組むようになりました。
麻田鷹司の功績は、美術界でも高く評価されており、1942年には、法隆寺金堂壁画の再現模写に参加、1945年には武蔵野美大教授に抜擢されています。
最終的には京都を5つの地域に分けて、10年で50点の洛中洛外の連作の完成を目指しましたが、志半ばで病を患い58歳の若さで早逝しました。
死後アトリエで発見されたスケッチブックは御室の桜の素描で終っていますが、そこにもスケッチをした日付と時刻までが記されていたとされます。また、亡くなる1年ほど前には梶川氏に向かって「私が死んだら御車返の屏風を枕元に置いてほしい」 と言い残していたと言い、その頃すでに生命の終焉を覚悟しながら画業に立ち向かっていたものと思われます。葬儀の枕頭には遺作「名木御車返」が置かれていたとの事です。
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