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三代目徳田 八十吉(とくだ やそきち)

三代目徳田 八十吉(とくだ やそきち)

三代 徳田八十吉は石川県出身の日本の陶芸家です。
九谷焼を代表する作家として知られ、彩釉磁器の重要無形文化財保持者(人間国宝)でもあります。耀彩は、古九谷をもとに生まれてきた表現のひとつと言われています。初代徳田八十吉が残した古九谷風の色彩や表現技術を受継ぎ、そこから生まれたのが「耀彩」だという。古九谷を再現した初代、現代的作風に傾倒した二代と、それぞれ個性的な表現があったように、三代が絵付けで追求した抽象的な世界は西洋美術から取り入れ古九谷の紫、紺、緑、黄、赤の五彩のうち、赤はガラス釉でないため使わず、残りの四彩を基本とし、少しずつ割合を変えて調合することで200色を超える中間色の発色を作り出し、色を帯のように重ねてグラデーションをみせる様式で生まれたのが「燿彩」です。これまでにない新しい九谷焼を生み出した事が高く評価され、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者に認定されました。
生涯にわたって九谷焼の「色」を研究し、古九谷を抽象的に表現することに成功し、深い色彩を現代的感覚と新技術によって進化させた神秘的な作品は海外でも高い評価を受けております。
徳田家は代々九谷焼を守り続けている九谷焼の名門で、三代 徳田八十吉の本名は正彦といい、二代の長男として生まれました。
金沢美術工芸大学に入学しますが、名家を守るという心意気から中退し、初代と二代目に師事して、九谷焼の伝統を極めていく事となるのです。
因みに、二代 徳田八十吉は富本憲吉に師事しており、富本憲吉は現代陶芸の第一人者として活躍した人物で、二代 八十吉からは富本憲吉直伝の技と精神を学びました。
こうして三代 徳田八十吉は伝統的な九谷焼を伝承しながら新しい九谷焼の開発も行っていき評価を受けてきました。そして三代 徳田八十吉は意外なところからもインスピレーションを受けています。二十代の頃、宝石の澄んだ色と輝きに魅せられ、古九谷の色を使って宝石を表現したいと考えるようになり成分を微調整した数十種類もの色釉を用い、グラデーションを創造。乱反射を防ぐ磨きの工程を丁寧に行い、輝くような光彩を生み出しました。それが三代 徳田八十吉の代名詞でもある「耀彩」です。しかし、発表当時は作品を否定する声も聞かれた。
「こんなものは九谷焼ではない」と批判を受けた事もありましたが、基本となる色は古九谷五彩の中から紺、紫、緑、黄の4色を使用して形ではなく色彩の新しい表現を追求したかったとの三代 徳田八十吉の強い思いが人々の心を魅了し、やがて耀彩は九谷焼の新しい技法として認められ、高い評価を受けるようになります。そしてその技術力から生み出される作品は四代 徳田八十吉へと受け継がれていきました。また有名な話ですが「徳田八十吉」の名を受け継ぐものという意味で四代目は女性でありながら襲名後は戸籍上の名前も「徳田八十吉」へ改名しています。代々「名を受け継ぐ」ということの重要さを表すエピソードですね。
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