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飯塚 小玕齋(いいづか しょうかんさい)

飯塚 小玕齋(いいづか しょうかんさい)

飯塚小玕齋は昭和から平成にかけて活躍した東京出身の竹工芸家です。また竹工芸で人間国宝(重要無形文化財)にも認定されています。
大正8年に父である竹工芸家 飯塚琅玕斎の次男として生まれます。本名は成年(しげとし)と言います。そんな飯塚小玕齋は元々は家業を継ぐつもりはなく画家になることを目標にしていました。その為、東京美術学校油絵科に入学して美術について学びました。その後、卒業をしますが戦時中だった為に入隊しなくてはいけなくなりのした飯塚小玕斎は、卒業すると戦争によって軍隊に入隊する事になり、戦地に向かうことになります。
戦後は、疎開先でもあった栃木市で復員して身を置きます。やがて、栃木市立高等女学校で講師をすることになり、そこで約10年間勤めています。しかし、長男である兄の幹雄が早くに亡くなったことから、画家になる夢を諦めて家業である竹工芸の道へと歩むことを決意します。
父である琅玕斎の指導は厳しくはありましたが、そのおかげで細密な竹工芸の基本から学ぶことができ束編、竹刺編、氷烈編等、数多くの種類の編み技を思いのまま自由自在に使った作品は琅玕齋から教わった、行、草、真を基本とした品格が上品な作品を手掛けることにたどり着くのでした。飯塚小玕齋は当初は線、面、点の理論などの基に照明器具や壁面装飾などといった、アクリルや金属等の異素材と竹と組み合わせた斬新な作品を作成して発表していましたが、竹を知りその特性を読む創造に喜びを求めるようになった飯塚小玕齋は竹工芸の原点に戻り、竹が持つ魅力と美を引き出せるように精密でありながら自ら工夫した精細な編組技法を駆使した作品を発表するようになりました。

その後、日本伝統工芸展を中心に作品を発表し続けた飯塚小玕斎は数々の賞を受賞して活躍をしていきます。また京都の正倉院宝物の竹工芸品について調査や研究をし、後輩の指導にも積極的に努め、竹工芸の発展と普及に力を尽くした事が認められ人間国宝(重要無形文化財)の認定を受けることになります。
飯塚小玕斎の作品は日本国内だけではなく、海外でも高い評価をうけていて現代竹工芸家の第一人者として85歳で亡くなるまで多くの作品を残しています。

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