坂倉新兵衛(さかくら しんべい)は萩焼の名家として萩焼窯元の板倉家の当主が代々襲名している陶芸家の銘です。
代々当主によって萩焼の伝統を守りながらも変化を加えられ続け、近代的な作品などで多くの人々を魅了し続けている事でも知られています。
坂倉新兵衛の歴史は、非常に長く初代が1604年から始めたと言われております。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に藩主毛利輝元の命によって招致された朝鮮李朝陶工で李勺光、李敬の兄弟が城下で御用釜を築いた事がきっかけとして、萩焼深川窯を代々受け継いできたのが坂倉新兵衛です。現在マルカ(MARUKA)では坂倉新兵衛作品の買取を強化しています。現在の十五代でも稀代の作家と言われた十二代でも坂倉新兵衛銘の焼き物を高価買取いたしますのでコレクションを手放す際は是非ご相談ください。
そして坂倉新兵衛の十五代という長い歴史と伝統の中で、最も名をあげたのが十二代坂倉新兵衛と言われています。
十二代坂倉新兵衛は、山口県出身で十一代坂倉新兵衛の長男として生まれました。本名を平吉と言います。表千家十二代の惺斎宗左に師事をしてお好み道具制作の御命を受けるなど陶芸の世界から無くなりつつあった萩焼の不振を茶湯と萩焼との結び付きを強調する事で新たなアプローチをして現代的な作陶で茶陶萩焼のブランドイメージを確立した事で知られています。そして現在ではこの十二代の功績は萩焼界では崇められる存在ともなっております。
また当代の十五代も数多くの功績を残しています。そして萩焼を世界に向けて伝え続けている重要な人物でもあります。400年以上に渡り15代も続く板倉新兵衛の名前、その歴史的価値のみならず美術品としての作品の出来の良さがあるからこその伝統となるのです。マルカ(MARUKA)では美術品・骨董品買取に置いて他店に後れを取る事はありません。昭和28年から続く質屋を母体とするからこその鑑定眼。店頭でも出張買取でもあなたの大切なコレクションを最高の価格で買取出来るのは京都マルカ(MARUKA)だけです。
伝統を持つ家系に生まれ、幼少の頃より自然と陶芸家という道を歩む意識を持っていました。そして転機が十四代坂倉新兵衛が陶芸家として、これからという時に胃がんに侵され、58歳の若さで亡くなったことから1978年に若くして十五代目の坂倉新兵衛を襲名します。
その後は数々の作品を受賞するだけではなく海外にも目を向けてロサンゼルスやパリなど世界的にも萩焼を広める活動をしております。
そして、その功績などが認められ2013年には県指定無形文化財として認定をされることとなります。
今後も数々の作品を造り出していき、茶道具界や世界にも新たな萩焼の可能性を摸索し続けていかれることと思います。