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古田 織部(ふるた おりべ)

古田 織部(ふるた おりべ)

古田織部は天分13年(1544)に現在の岐阜県である美濃の国に生を受けます。織田信長が美濃国を平定するとその配下となり以後織田家、豊臣家、徳川家と代々の天下人に仕えます。茶の湯にに関しては千利休のもとで学びその弟子たちの中でも突出して目立っており豊臣秀吉の時代には茶の湯名人として有名になった人物です。千利休が亡くなると秀吉に庇護されながら茶の湯の指導者として新たな境地を切り開き独自の解釈で新しい風を茶の湯の世界に巻き起こします。それは慶長年間(1596 1615)大胆奇抜な造形とまったく新しい美を創出して日本の文化史上最も豪壮華麗といわれた桃山文化を彩り師匠である千利休のわびさびとはまた逆を行く路線で一つの時代を彩りました。特に焼き物の分野では「織部焼」が生み出され「織部好み」といわれ形の歪んだ茶碗や変わったデザインがその当時の大名や豪商などの富裕層の間でブームを巻き起こすほど強い影響力を産みそれは後の魯山人にも大きな影響を与えたといいます。また茶の湯の作法だけではなく茶室や露地などの空間を作り、日本各地の窯業地での指導においても織部の功績を見ることができます。 しかしそんな織部も慶長20年(1615)の大坂の陣ののちに反逆の疑いをかけられ切腹を命じられます。その時織部72才。真相はいまだ闇の中ですがまったく弁解せず潔く自害したと伝えられており、そこは師の利休と同じく権力者に媚びない己の新年を突き通したのかもしれません。 また織部と利休の深い関係性を見ることができる手紙が残っています。当時堺へ蟄居を命じられいつ切腹の命がくだされるかわからない利休に、細川家の重臣である松井康之がお見舞いを届けたことに対する礼状なのですが、切腹二週間前と言う時期に淀の船着き場まで細川忠興と古田織部が見送りにきたことへ大変驚き、感謝していることがつづられています。当時の利休は犯罪人、切腹街の状態ですから見送りが発覚したらお家取り潰し、下手をすると一緒に切腹させられる危険性もあるという状態ながらそんな危険を冒してまでも師の利休を見送りに来た強い師弟関係が物語られています。 MARUKAマルカでは古田織部の作品や書などを買取しております。マルカ(MARUKA)は京都の地で昭和28年から60年以上も続く質屋を母体としております。ですのでその辺のブランドショップでは扱えない骨董品や宝石の買取りに強いのです。これには多数の商材を扱ってきたという実績とそれらに対する知識の蓄積とそれを伝えるノウハウが必要です。またMARUKAでは京都のお店だけではなく銀座本店や渋谷店、もちろん福岡の福岡天神店でも骨董の買取りは可能です。またそれぞれから出張買取にも対応しておりますので、大きく重たく、そして扱いに注意しないとすぐに傷がついてしまう骨董関係などは遠慮なく出張買取をご利用ください。東京などでは実績として広尾や白金台、田園調布などの高級住宅街もそうですが、最近では六本木や麻布、青山などのタワーマンションにお住まいの方でも骨董品をお持ちの方もおられそういったところへの出張買取依頼も多くいただいております。皆様も是非マルカ(MARUKA)の伝統と実績の買取りをご体験ください。 銀座本店は夜の祇園をイメージし、渋谷店は嵐山の竹林を、福岡天神店は昼の祇園をイメージした今まで見たことがなような洗練された空間で皆様のお越しをお待ちしております。

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