大西清右衛門(おおにし せいえもん)は京都に工房がある茶の道、千家十職に認定された釜師です。その当主が代々受け継ぐ名前が大西清右衛門で400年前の室町時代後期からつづいていています。四代目当主がはじめて清右衛門を名のっていて当代は十六代目となっております。京都MARUKAはこのような茶道具買取を強化しており、骨董品や美術品合わせ高価買取しています。
大西清右衛門の工房は京都三条釜座にあり、この場所は平安時代から鋳物の町として栄えたことで知られております。また工房には大西清右衛門美術館もあって歴代の大西清右衛門の作品を鑑賞する事ができます。
現在、大西家は京都と江戸に別れておりますが初代浄林は、京都南山城の広瀬村の出身からは広瀬姓を名のったといわれております。
30代の頃に二人の弟とともに上洛してのちに方広寺の梵鐘を鋳造した名越三昌に弟子入りして三条釜座の座人になったと記録が残されています。弟のうちは一人が後々の二代浄清です。二代浄清は初代とともに武家茶人このみの釡を作り、歴代の大西家の当主の中でも名人と言われた人物でした。
兄弟らは鋳物師として徐々に腕を上げていきます。やがて千利休の一番弟子の、あの織部流開祖の茶人でもあり武人でもある古田織部に仕えたとされます。時代が豊臣から徳川の時代になると二代目浄清はその技量を高く評価され幕府御用釜師としてお抱え職人となり三代目定林が江戸に定住して江戸大西家となりました。こうして京都と江戸に別れて二つの場所でそれぞれ釜を作り続けていたのです。
六代浄元の頃から表千家家元の覚々斎や後の如心斎のもとで千家の釜師を努めるようになり現在まで大西家の釡は多くの茶人たちに好まれています。
現当主の十六代大西清右衛門は15代の長男として京都で生まれました。幼少の頃より自分の運命を理解して釜師として伝統を受け継いでいきます。そして大阪芸術大学美術学部彫金科を卒業後は釜師としての修行の日々を送り数多くの作品などを手掛けていき実力をつけていきます。そして、父親が隠居した1993年に十六代目大西清右衛門を襲名しました。その作風は常に挑戦をしており芦屋釜の幻の技法とされた挽き中子技法の再現したり歴代の大西清右衛門の中で天才と言われた二代浄清の夜学釜の復元に成功しております。過去の名品を技法を学び手本として新たな創造に挑戦し続けています。
MARUKAは茶道具買取を絶賛強化中。初代が滋賀近江から京都の西大路七条へ出てきて質マルカを創業したのが昭和28年、それから60年以上の歴史を刻みながら美術品や骨董品買取だけでなく、現代では普通のブランドショップ、リサイクルショップが扱わない茶道具買取などにも強い老舗質屋を母体としています。京都・滋賀・奈良・大阪に兵庫は神戸や宝塚、さらには和歌山や岐阜、名古屋方面まで出張買取に伺います。東京は銀座にある銀座本店と新宿、池袋までカバーする渋谷店、そして福岡の天神地区にある福岡天神店でも美術品・骨董品・茶道具買取いたします。まずはなにより練習道具、お稽古道具でも茶道具買取はマルカ(MARUKA)へご相談ください。
大西 清右衛門(おおにし せいえもん)
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