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田崎 廣助(たさき ひろすけ)

田崎 廣助(たさき ひろすけ)

田崎廣助は福岡県八女郡出身で大正から昭和にかけて活躍した洋画家です。風景画を多く手掛けている画家で、特に山岳風景を好んで製作しており、その中でも50年の長きに渡って描き続けた熊本の阿蘇山をテーマにしたものが多く阿蘇の田崎とも呼ばれています。
その作品は大きく堂々とした逞しい山を表現していますが、あたたかみのあるユーモアを感じる事ができます。自然への憧れとパリ留学の際に印象派・セザンヌの影響をうけ、それと日本的油絵様式を調和させる事に成功することで独特の画風を制作していきました。
晩年では富士山をテーマにした作品も制作しており、特に赤富士の絵を数多く手掛けています。
田崎広助の故郷は恵まれた山河などの大自然が広がっており幼い頃から絵を描く事が好きだった為、雄大な自然を相手に絵を描いていました。絵の才能は母親から譲り受けたと田崎広助自身が言っており広助の名前の由来は母親の実家が立花藩漢学者の家柄で助広と言っていた事から名前をひっくり返して広助としたとの事です。田崎広助の中学時代は田崎草雲という雅号を使っています。この雅号は幕末から明治初めにかけて江戸在住の足利藩士の南画で有名な田崎草雲という同じ名前の人物がいた事が分かりました。また、草雲が亡くなった年と田崎広助が生まれた年が同じだった事から草雲の生まれ変わりじゃないかと言われたというエピソードが残されています。
画家を目指して福岡の師範学校で学んだ田崎広助は県立高等女学校の教諭として採用されましたが、それを断り東京へと向かいます。しかしそれに知った父親からは勘当を言い渡されることになります。
東京では本郷の駒本小学校にて図画の教師をしながら、絵の勉強に没頭していましたが関東大震災にて被災したことで京都へ移り住む事になります。京都でも図画教師をしながら関西美術学校で絵を学び身に付けていきましたが結婚をしたことがきっかけとなり本格的に画業に専念することとなり、ヨーロッパに行きます。
パリのアトリエを拠点にスペイン、イタリアなどを回り、絵と向き合った生活を3年間続けてサロン ドートンヌにて2度の入選を果たします。帰国後は日本画壇の重鎮として数々の賞を受賞する活躍をみせ、輝かしい功績を残しました。
マルカでは田崎廣助の作品を買取しております。京都で昭和28年に創業し、質屋として長年美術品や骨董品の鑑定をしてきましたので絵画、彫刻、焼物など美術品、骨董品の取り扱いには自信があります。京都、東京、福岡および出張買取にて全国へ行かせていただきますので、田崎廣助の売却をお考えの際は、マルカに是非ご連絡を下さい。

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