川合玉堂は愛知県出身の明治から昭和にかけて活躍した日本画家です。
日本の四季から生まれてくる自然をこよなく愛し、そこで生きる動物や人間の姿を独特の味わいがある墨線と美しい彩色で描く風景画を得意として数多く描きました。横山大観や竹内栖鳳と共に日本画壇の三巨匠と言われています。
円山、四条派と狩野派を見事にかけあわせた日本の四季から生まれてくる美しい自然の風景をしみじみと落ち着いたおもむきのある風景を写実的に描く事で独自の画法を生み出しました。筆墨紙商を営んでいた長男として愛知県で生まれた川合玉堂は、本名を川合芳三郎と言います。
12歳の頃から絵に興味を持ち始め、京都で望月玉泉の門下になります。その後、幸野楳嶺の門下になり円山派や四条派を学びました。17歳のころから玉堂と号するようになり活動をしていき、その年に出品した「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」が第3回内国勧業博覧会に入選することになります。
23歳の時に上京をして橋本雅邦を師匠として狩野派を極めていき横山大歓、岡倉天心や雅邦などが創立した日本美術館に参加します。後に自分の塾である長流画塾を開き東京画壇で活躍を見せるようになりました。そして功績を認められ文展では審査員を任命されることとなります。更に東京美術学校日本画科の教授に就任し、後輩の指導にあたるなど日本画壇の代表的な存在になります。そしてフランスからレジオンドヌール勲章や赤十字第一等名誉章をドイツ政府から贈られ文化勲章も受賞されるなど正に世界中から認められた才能の持ち主だという事がわかります。
川合玉堂の代表作は「行く春」「彩雨」「二日月」「渓山四時図屏風」「悠紀主基屏風」などがあります。その作品の殆どに自然の中で人々が生活をしている姿が描かれ生活感が作品から伝わってきます。
第二次世界大戦中は自宅が戦争によって焼失してしまい東京都西多摩郡三田村御岳(青梅市)に疎開します。ここはこれまでしばしばに写生に訪れていた場所で、結局84才で亡くなるまでこの地で制作活動を続けています。
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川合 玉堂(かわい ぎょくどう)
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